歴史系ブックレビュー

本屋さんの歴史コーナーに並んでいる書籍を紹介します

忖度が生み出す邪悪『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』

 

 

最近は組織の不祥事ばっかり多くて、テレビを付ければいつでも誰かが会見で頭を下げている。

世の中の人はそんなに謝罪会見が好きなのかしら。追求されている不祥事の内容を見ると、謝って済む問題でもなさそうだが。いっそのこと、謝罪会見に特化したチャンネルでも作れば一儲けできるかもしれん。

だいたいにおいて、組織に不祥事が起こると、上層部のリーダーが「責任を取って辞めます」なんていうけど、辞任したらその人の責任、なくなるんですかね?

「じゃあ、どうすればいいんだ」って逆ギレされると答えに困るが、辞めちゃったらもう禊ぎは終了ってのも都合がいいような気がして釈然としない。

「世紀の愚策」は誰の責任か

牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』は、悪名高き「インパール作戦」を指揮した陸軍司令官・牟田口廉也の生涯にスポットをあて、無能なリーダーを生み出す組織の構造を暴き出した書物だ。

太平洋戦争末期、ビルマを占領した日本軍は、インドに駐屯するイギリス軍への攻撃を計画する。この時、標的となったのが、インド北部に位置するインパールだ。この拠点を奪うことで、中国への補給路(いわゆる援蒋ルート)を遮断し、停滞する戦局を好転させるーーまさに“起死回生の一手”だった。

ビルマからインパールへ向かうには、巨大な河と標高2000m級の山々を超える必要がある。さらに、雨季に入ると身動きがとれなくなるため、約1カ月という短期決戦で臨まなくてはならない。

最大の問題は食料や弾薬といった消耗品だ。これほど長距離の行軍の中で、一体どうやって補給ルートを確保するのか。作戦検討時、一部の将校が兵站の問題を指摘するが、牟田口は一向に聞く耳を持たない。

挙句の果てには、水牛に荷物を運ばせて、腹が減ったら殺して食うという「ジンギスカン作戦」なるものを立案。ところが、連れて行った水牛は序盤の河で半数が流され、半数は山の崖から落ちてしまい、兵士の口に入ることはほとんどなかったという。

結果、インパール作戦は多くの病死者・餓死者を出し、4カ月後に作戦中止となる。退却ルートは倒れた兵士の死体で埋まり、「白骨街道」と呼ばれるほどの、惨憺たる結果であった。

やめられないし、とまらない

 インパール作戦が世紀の愚策であることは言うまでもないが、早期に作戦中止を決断していれば、これほどまでの惨事は避けられたはずだ。だが、陸軍はそれができなかった。

牟田口の上官でビルマ方面軍の河邊正三は、大本営東条英機から作戦実施の命令を受けた手前、作戦を継続するしかなかった。東条自身もまた、作戦中止の決断を下すことができなかった。

結局、誰もが「無理」と思いつつ、上司の意向を忖度しまくった結果、2万人を超える死者を出す作戦が発動されてしまったわけだ。

作戦が停滞する中、現場の指揮官たちは牟田口に対し、「作戦の中止」を訴えた。牟田口はそんな彼らを「消極的」と決めつけ、更迭した。

どちらがよりリーダーとして責任を全うしたのか。今となっては火を見るよりも明らかだろう。

『陰謀の日本中世史』愚者は歴史に学ぶ

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」なんて言葉がある。いかにも名言って感じのセリフだからよく目にする機会もあると思うけど、じゃあ、誰の言葉なのかって聞かれて答えられます?

これはドイツの鉄血宰相・ビスマルクが残した言葉なんだってね。

しかも、原文はニュアンスがちょっと違っていて、直訳すると「愚者は自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」という内容らしい。

だから、ここで言う「歴史」ってのは、“他人の失敗談”ぐらいのニュアンスでしかないわけだ。

日本ではなんとなく「愚か者は自分だけの経験に頼り、賢い人は歴史の教訓から最善の手段を導き出す」といった意味で使われている気がするんだけど、そんな大げさな話ではないってことだ。

これと似たようなことを、先日、歴史学者の呉座勇一がインタビューで答えていた。

withnews.jp

呉座センセーもワンピースとか読むんですね。

ぼくらが日頃、目にしている「歴史」というのは、半ば「物語化」してしまって、本当の史実とはかけ離れてしまっていることの方が多いようだ。

そんな「歴史」に学ぶぐらいなら、世の中にはいくらでも面白い小説や漫画があるんだから、そっちを読めばいいじゃないってことですね。

みんな大好き「陰謀論

それでも、我々は「面白いストーリー」を欲しているようで、これはもう本能みたいなものだね。飯を食べたり、布団で寝たりするのと同じように、物語を楽しみたいのだ。くだらねえと思いながらも、ついついテレビのワイドショーを見てしまうのが、人のサガってものなんだ。

そんな人間の無邪気な好奇心が、時としてとんでもない勘違いや冤罪、風評被害を生み出してしまうなんてのも、よくあることだ。それが、情報のほとんど残っていない過去の出来事であれば、なおのこと。

『陰謀の中世日本史』は平安末期~戦国時代までに勃発した数々の事件にまつわる「陰謀論」にフォーカスを当てた書物だ。

本書では「陰謀論」を、「特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという考え」と定義している。

本能寺の変には黒幕がいる!」「関ヶ原の戦いは家康が仕組んだ罠!」「義経は頼朝にはめられた!」

 世の中にはびこる、これらのような「俗説」を、著者は歴史学のオーソドックスな分析手法を用いて淡々と切り捨てていく。

筋書き通りにいくわけない

本能寺にしても、関が原にしても、ぼくらは誰が勝ち、誰が負けたかを知っている。だからつい、勝者が綿密な計画を立て、すべてを見切った上で勝利を手にしたと思い込んでしまいがちだ。

だけども実際は、限られた情報の中で右往左往し、疑心暗鬼に陥りつつも決断を迫られる場面がほとんどなわけで、すべての100%見通せるエスパーが描いた「陰謀」なんてあるわけがないのだ。

なぜ人は陰謀論を簡単に信じてしまうのか。それは「分かりやすいから」だ。

陰謀論の「結果から逆行して原因を引き出す」という特徴も、陰謀論の分かりやすさに大きく寄与している。結果から逆算するということは、原因と結果を直線的につなげることに他ならない。そこには紆余曲折、すなわちプレイヤーの迷いや誤断はない。

まあ、つまり、あれだ。筋書き通りにいかないのが、人生ってことだ。