『陰謀の日本中世史』愚者は歴史に学ぶ
- 作者: 呉座勇一
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2018/03/09
- メディア: 新書
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「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」なんて言葉がある。いかにも名言って感じのセリフだからよく目にする機会もあると思うけど、じゃあ、誰の言葉なのかって聞かれて答えられます?
これはドイツの鉄血宰相・ビスマルクが残した言葉なんだってね。
しかも、原文はニュアンスがちょっと違っていて、直訳すると「愚者は自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」という内容らしい。
だから、ここで言う「歴史」ってのは、“他人の失敗談”ぐらいのニュアンスでしかないわけだ。
日本ではなんとなく「愚か者は自分だけの経験に頼り、賢い人は歴史の教訓から最善の手段を導き出す」といった意味で使われている気がするんだけど、そんな大げさな話ではないってことだ。
これと似たようなことを、先日、歴史学者の呉座勇一がインタビューで答えていた。
呉座センセーもワンピースとか読むんですね。
ぼくらが日頃、目にしている「歴史」というのは、半ば「物語化」してしまって、本当の史実とはかけ離れてしまっていることの方が多いようだ。
そんな「歴史」に学ぶぐらいなら、世の中にはいくらでも面白い小説や漫画があるんだから、そっちを読めばいいじゃないってことですね。
みんな大好き「陰謀論」
それでも、我々は「面白いストーリー」を欲しているようで、これはもう本能みたいなものだね。飯を食べたり、布団で寝たりするのと同じように、物語を楽しみたいのだ。くだらねえと思いながらも、ついついテレビのワイドショーを見てしまうのが、人のサガってものなんだ。
そんな人間の無邪気な好奇心が、時としてとんでもない勘違いや冤罪、風評被害を生み出してしまうなんてのも、よくあることだ。それが、情報のほとんど残っていない過去の出来事であれば、なおのこと。
『陰謀の中世日本史』は平安末期~戦国時代までに勃発した数々の事件にまつわる「陰謀論」にフォーカスを当てた書物だ。
本書では「陰謀論」を、「特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという考え」と定義している。
「本能寺の変には黒幕がいる!」「関ヶ原の戦いは家康が仕組んだ罠!」「義経は頼朝にはめられた!」
世の中にはびこる、これらのような「俗説」を、著者は歴史学のオーソドックスな分析手法を用いて淡々と切り捨てていく。
筋書き通りにいくわけない
本能寺にしても、関が原にしても、ぼくらは誰が勝ち、誰が負けたかを知っている。だからつい、勝者が綿密な計画を立て、すべてを見切った上で勝利を手にしたと思い込んでしまいがちだ。
だけども実際は、限られた情報の中で右往左往し、疑心暗鬼に陥りつつも決断を迫られる場面がほとんどなわけで、すべての100%見通せるエスパーが描いた「陰謀」なんてあるわけがないのだ。
なぜ人は陰謀論を簡単に信じてしまうのか。それは「分かりやすいから」だ。
陰謀論の「結果から逆行して原因を引き出す」という特徴も、陰謀論の分かりやすさに大きく寄与している。結果から逆算するということは、原因と結果を直線的につなげることに他ならない。そこには紆余曲折、すなわちプレイヤーの迷いや誤断はない。
まあ、つまり、あれだ。筋書き通りにいかないのが、人生ってことだ。